「なぜ葬式をするのか?」
「なぜやるのかと言えば、それは葬式が『宗教』ではなく『習俗』だからです。」(ひろさちや『お墓はなくてもいい』)。
習俗とは、「ある地域やある社会で昔から伝わっている風俗や習慣(風習、ならわし)」とあるが、葬式はいつ頃からあったのだろうか。
人類最古の例は、イラクで発掘された7万年前のネアンデルタール人の洞窟遺跡だそうで、人骨の周りから洞窟内で咲くはずのない花の花粉が見つかったとのこと。
日本においても、縄文時代の埋葬をはじめ、弥生時代以降は権力者の大掛かりな葬式の例が歴史教科書に綴られるようになります。
確かに、仏教が伝来する遥か以前の時代ですから、葬式・埋葬はもともとは宗教とは関係がなく、人間としての営みであったところ、ここに宗教が乗っかってきた、ということが理解できます。
では、なぜ人間は葬式・埋葬をするのだろうか。
答えは、人間は死というものを理解することができるから、ということらしい。
例えば仲間の遺体を埋葬する犬や猫を見たことも聞いたことも無いですし、母猿は死んだ子猿を腐っても手に持ち続けるそうだが、これも猿が死を理解できないからとのこと。
しかし、死を理解するということは、葬式・埋葬したらハイ終わり!ということでなく、いろんなことを考えてしまう。
特にやっかいなのは「死んだあと、どうなる?」、ということでしょう。
私は、死ねばすべて無となる、と思っています。つまり霊魂なんて信じていません。
ただ、先祖のことについては、私の身体にDNA(遺伝子)として脈々と息づいていますから、尊厳の念を有しています。
この歳になって、仏壇や納骨堂の世話をよくするようになりましたが、これも先祖への感謝あるいは敬う気持ちの表出かなと思っています。
これも祖霊信仰かな?
霊魂なんて信じていない、と言ったじゃないか!
と言われるかもわかりませんが、簡易な先祖祭祀をコツコツとやっています。
でもなぜ仏教で?となるが、婆さんから引き継いだものであるし、他に良い方法が思いつかないからです。
つまり、「葬式仏教は、『仏教という宗教』ではなく『神道(もともとの日本の習俗)という習俗』の一部分にすぎません。」(ひろさちや『お墓はなくてもいい』)、ということだと思います。
【22/11/05】口座状況・月次損益
みんなのシストレ口座状況( 入金額 900,000円 )
PF(プロフィットファクター)=(3,607,318-900,000)÷ 934,635(評価損)=2.90
損益は次のとおり。
bitFlyer口座状況( 入金額300,000円 交換Tポイント5,400pt )
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